観念2025

観念しろよ~~~~!

特にタイトルに意味はないです。ヘッダーもなんか単に最近撮ったきれいなお花です。熱帯スイレン、かわいいでしょ。

最近色々あってなんか人生を省みて観念的な話したくなったので…急にでけえテーマになったな…。結構意味わかんねえ記事かも。読んで得になること一個もなさそう。まぁエッセイ集的なもんだと思ってもろて。

よろしくお願いします。

容姿の自信について

容姿にずっと自信がないです。
優れた容姿がいるような暮らしをしてないのでまあいらないっちゃそうなんですけど、なんか詳しくはあんま言いたくないんですけど結構これまでの人生で結構容姿をあげつらわれた経験が多くてずっとヘニャヘニャしてる感じですヘニャヘニャ。

自信がないとどうなるかというと「自分なんかがおしゃれをしても笑われる」と思っちゃって身なりがどんどんみすぼらしくなります。
以前身なりみすぼらしくなりすぎて友達にちゃんと収入があるのか心配されたことがあります。年収を言ってその額稼いでるんだからTシャツの1枚くらい新しいの買いなさいよ!と叱られるなど活動は多岐にわたる。今は流石にユニクロ行ったり好きなアニメのTシャツ着たりしています。

でも最近ダイエットしてるんです。
詳しくは以前の記事で書いたんですけど、容姿云々じゃなくて人生を遊び尽くしてから死にたいと思っているのでそのためには標準体型のほうが有利そうだからです。

ほいで。
今日この度ダイエット始めてから10キロの減量を達成しました。
ちょっと自分でもすごいと思っています。まあ元がけっこう大変なことになってたので最終目標まではまだまだ道程は長いのですが。

こないだ、ベンチプレス140キロでボディビルの大会にも出るようなムキムキのジムのトレーナーさんに「痩せました!?」って言われたんです。根気強く通ったあなたの努力の賜物だと言われました。美醜ではないんですけど、生まれて初めて容姿を褒められたかもしれません。

それで、やった~新しい服買わなくて済む~くらいのノリで「入らなかったズボンが入るようになったんです!」と伝えると「これからもっとおしゃれいっぱいできますよ!」って言われて…えっ!ワイもおしゃれしていいのか!?となりまして…なんか天啓を受けたような気持ちになりました。

※注釈しておくとダイエットが目的と申告してジムに通っているため急に容姿をどうこう言われたわけでなく適切な褒められが発生した感じです。

もちろんどんな体型や容貌の人でもおしゃれしていいと思うし、実際してる人もいっぱいいるの見て素敵だなと思うのですが、それはそれとしてこれまでの人生からの思い込みで自分なんかがしてはいけない・自分はああいう風になれないとずっと思っていたのでなんだかレベルキャップが開放されたような気持ちです。いいんだ、ワイもおしゃれして。

正直な所、女性が多い場に行くのが結構怖かったんです。男女でどうこう言うのハチャメチャに良くないんですが、男性多い現場だと臭くない・最低限の清潔感でヨシ!人間だな!って感じなのですが、他者の身なりに厳しいのってやっぱ女性のほうで、変だと思われてないかなってずっと怖くて…。だから結構「推しに無様な姿は見せられない」みたいなこと言ってる人多くて怖いので、女性ファンの多い特撮とかで知った若手の俳優さんの出てるお芝居の観劇とかマジでどうしても行きたいの以外は興味あっても諦めてたんですよね。
ハレの日だからおめかししたいのは当然なので、そういうことを言ってる人達が悪いのでなくて己の卑屈さで自分を無様サイドの人間だと思ってたので…自分はハレの場にいてはいけない存在だと思っていました。

もちろんちゃんとお出かけする時は最低限の身だしなみはしてるつもりなんですが、前述の思い込みで「自分はおしゃれをしてはいけないのできっと自分なんか行っちゃだめかもな」って思ってたんです。冷静に考えると自分は見られる側じゃなくて見に行く側なのでそんなに思い詰めなくてもよかったのかもしれません。杞憂。

ちなみに私はプロ野球が好きなんですけど、野球観戦って老若男女問わず着るもの困ったらとりあえず好きなチーム・好きな選手のユニフォーム着てればいいのでめっちゃ気持ち的に楽なんだよな。みんなで応援してる!の気持ちも楽しめるしユニフォームって最高かもしれません。

そんな感じで。
ずっと自分はおしゃれしてはいけないと思っていたけど、おしゃれもしてみたいかも!って思えるようになりました。直接痩せ始めたからと言うよりは、ジムのトレーナーさんがかけてくれた何気ない言葉で自分にも権利があるんだ!って思い出せたっぽいです。

「人生を遊び尽くしてから死にたいと思っている」と書いたのですが、その「遊び」のひとつにおしゃれも入れていいかもって思いました。
いっぱい遊んでからピンピンコロリや!!

画力バトルから降りるぜ俺は

今からド偏見を言います。
美術系の学校に行った人間の7~9割は下の学校の時はクラスで一番絵がうまくてすごーい!画家とか漫画家になれるよ!ってチヤホヤされて気を良くしてヨォーシ絵で一発当てたるぞと思って進学するとそういう人間のさらに上澄みばっか集まってるので鼻っ柱をべきべきにへし折られる経験、あるよね?
特にそんな事ない人はごめん。偏見なので…。

自分もご多分に漏れずそうで(正確には小中のクラスで1番絵が上手かった子は高校進学前にとっとと漫画家デビューしてしまったので私が1番だったことは一度もないのですが、まあクラスでそこそこイケてたという意味で)、高校の時に美術の科がある所に進学したのですが高1のときのデッサンのテストでケツから1番を取って以来、なんかその後の人生で多少成長はしてるとは思うんですけどどーせケツから1番よ…という気持ちで生きています。美大も全落ちしたしね。

まあ、なんかでも大人になった今、あんま画力いらない分野なんですけど、一応職業お絵かきマンとしておまんま食っております。ありがたいことだ…。

絵ってやっぱ表面的な巧拙が一番初めに目に入ってくるから、画力の多寡だったりフィニッシュワークの美しさが気になってしまうんですけど、それってあんま本質的なところじゃなくてどちらかというと伝えたい事柄が大事なんだなと思います。画力やフィニッシュワークはそれを伝えるためのバフというか。なんかその表現のコアみたいなのをつくるのが良いんだって気づけたから、それを必要としてる人に信頼してもらえて、画力バトルからは降りたけど絵描きを続けられている感じです。本当にありがたいことです。
見つけてくれてありがとうございます。
急に近畿地方になるな、オメー神奈川県民だろ。

以前の記事でも少し書いたのですが、最近クリスタのパース定規を使うのをやめました。直線が必要な時はiPadに直に定規を当てて描いています。
昔漫画の連載をした時は作画担当だったこともありウオーッ!Blender!Unreal Engine!ブイブイ言わせるぜ!というノリでゴツいグラボ積んだハイスペックのパソコンを使ってたのですが、そいつを売っぱらって元手に10万くらいの内蔵グラの低電圧Ryzenの軽量ノートパソコンとiPadで描いています。液タブも最近手放しました。私の作業環境は今、A4のPCバッグにすべて収まります。

弘法筆を選ばず的なことがいいたいのではなく、むしろ身の丈にあった道具を能動的に選んだ感じです。あと弘法ってめっちゃ筆選んでたらしい。

カチッとした製図的な表現やマシンパワーの必要なフォトリアルな表現でなくフリーハンドのスケッチ的な表現で自分の言いたいことや見せたいことは十分伝わるな・適切な表現ができるなと思ったからです。まあ今は降りたとは言え、画力バトルをしてた頃の貯金(?)は幾分あるのでちょっとズルなんですけど…。サンプル見せて編集さんから全然大丈夫ですよ!と言われたので今後は商業誌でも基本フリーハンド背景になる予定です。

今ってツールも便利になって素材もいっぱいあるからパッと見の密度やクオリティを上げようと思ったら青天井なんですけど、果たしてその密度やクオリティはその場面に適切か?を考えるフェーズに今自分は立ってるのかもしれません。

ちょっと性質が違うかもしれませんが、以前、大童澄瞳先生がアシスタント募集をされてた際の条件が「フリーハンドで描けること」「ゆるい角度を描けるか」という感じだったのですが、なるほど芯食ってるなあと思ったものです。(※注釈すると大童先生のこれは「画力」的にも相当高度なことをやっている)

https://twitter.com/dennou319/status/1853469176310149329/photo/1

映像研面白いぞ!!

ツールは便利なんですけど、表現として必要な絵ではなくてツールに使われた絵を描いてしまうことって確かにあります。パース定規って特に顕著で、製図的に美しいものは誰にでも描ける最高のツールなんですが、ノー知識・ノー感覚で描くと整った亜空間が生まれます。だから、最近は製図的な美しさよりもカメラ感や演出としてその場面に必要な描写をできているか?ということを意識するようにしています。

5年くらい前の自分の絵(連載直後の絵)ってすごくうまいのですが、なんかすげー追い詰められてる感じがして、きっと必要以上に描き込み量を上げたりフィニッシュワークをカチッとさせることで「描いた気」になっていたんだと思います。あと、あの頃って全然らくがきができなくなってましたね。完成した絵でないといけないと思ってて、でも仕上がりはきれいだけど伝えたいことはおざなりだった気がします。

今は余裕があればフィニッシュワークももちろんこだわるんですけど、そこに時間を割くよりは演出や意図に比重を置くようにしています。画力バトルから降りた結果、見えてくることがすごく増えました。伝えたいことはあるか?それを伝えるのにその表現は適切か?伝えたいこと、意図、魂…言い方は何でもいいんですけど「それ」があることが大事だなと。

画力でテッペン目指してる人には逃げにも見えるかもしれないけど、なんか絵って画力だけじゃないかもって気づけたの、人生において良かったかもしれません。おかげで絵を好きで居続けられています。

絵って文字の形をしてないだけでもしかして言葉なんじゃねえか????
そうかな…そうかも…。

少し自分を肯定できるようになってきた

ハイパーウルトラドドドドド田舎の生まれで閉塞感に耐えられずこんなとこ出ていってやるぜと実家を飛び出たはいいものの、デッサンはケツから1番、美大は全落ち、進路選択は間違った気がするし、新卒での就活は大失敗、漫画も二次同人上がりで新人賞デビューではないetcなどの理由から、ずっと自分って一生王道ルートの人生歩めねえかも!!!居場所 is 無し!!!と思っていました。

ちなみに同人(主に二次)も、流行りものにハマったらイナゴだゴロだと言われ、マイナーだけど好きでしかたねえやつ描いてたら他のジャンルだったらあなたならもっと売れますよと褒め言葉のつもりで言われてきたので、この世に安住の地などないのかもしれません。もちろん仲良くしてくれたり気に入ってくれる人のほうがずっとずっと多くて、世の中って悪い人ばっかじゃないんですけど、悪い思い出ってやっぱ記憶に残っちゃうので…

とにかくちょっと前まで自分って本来この世に必要とされてないのをなんか知らねえけどお情けで生かされてると思ってました。

まーそれでも最近はコロナ禍で一時的に職失ったりとかもあったものの職場自体には立て続けに恵まれて周囲の人にすごく良くしていただいて仕事もたくさん活躍させていただいて結構自分ってここにいていいのかもしれないってちょっと思えてきてたので、実際は結構もうジワジワ幸せになってたかもしれない。ありがとうございますホンマに…TV版の最終回のシンジ君か?おめでとう、ありがとう????

でも特に大きな転機というか居場所をもらったと思えたのは去年です。
去年別チャンに読み切り載ったときに、チャンピオン系の雑誌を熱心に買ってらっしゃる方から「チャンピオンっぽい!〇〇先生(週チャンで書いてた作家さん)のアシしてた人?」ってご感想いただいたのめちゃくちゃ嬉しかったんです…ここにいて良いよって言われた気がして…。

もちろんそんなウェットな意味はなくてシンプルに作品を気に入ってくれただけだと思いますし(それはそれで嬉しすぎ!!!!!!!!)、例に出された〇〇先生とも自分は一切アシ等の関係はありません。ウェブ媒体も増えてレーベルにとらわれずいろんな出版社のいろんな雑誌で描いてらっしゃる作家さんのほうが今は多いのでどこそこのレーベルっぽい作家性っていうのもあまり意味のある話ではないと思います。

それでも私はこの世に自分の居場所なんてないと思ってたから、特定の場所で「らしい」と言われて嬉しかったんス。なんか…感情が重たすぎて気持ち悪くてごめん…。

若い頃の自分ってすごい成果を挙げられたらきっと何者かになれると思ってたっぽくて、それがうまいことできないからしんどかったのかも。まあやむなし。すごい成果って狙って出せたら苦労せんしな。

でも自分を肯定できるようになることってなんかでけえ偉業をなすとかじゃなくて、自分を出してもいい居場所をちょっとずつ増やしていくことなのかもしれません。

昔のワイはアイデンティティがないから不安だったんだと思います。
サカナクション歌うか、タローマンマニア山口一郎さんのご本業の曲を。割と自分の心情にしっくり来るお歌で大好きですコレ。

https://youtu.be/2gc5PR_NbHM?si=11OVR2nNj-3MXmjA

急に一年で老成すな

ここまで3点トピック出してきたんですけど、コレ全部ここ1年で思ったり起きたりしたことです。嘘だろ。急なパラダイムシフト????老い????

なんかこういう風にいろんなことを悪くない方向で受け入れられるようになった要因で、一番大きいのはやはり双極性障害(所謂躁うつ病)が寛解に至ったことかなと思います。あるいは逆かもしれません、こういうことが立て続けにおきたから寛解に至ったのかもしれません。脳みそとかいう重要臓器、意味わかんなすぎて怖いわ…。

躁うつ病が一番ひどい時に考えてたことは正直もうハッキリとは思い出せません。そのあたりの時期に使ってたTwitterアカウントは爆破してしまったし、当時はまだnoteちゃんとはじめてないので、文章としての記録も残っていません。でもなんだか世の中すべてを敵のように思っていた気がします。そんな事ないのにね。

あとは絵を描くのが嫌いだと自称していた気がします。成果物は好きだけど手を動かすのが苦行だ…と方方で言っていたはずです。多分、絵を描くのが嫌いと公言することで「本気でやってないけどそこそこやれてる俺」で自尊心を保とうとしてたんだと思います。今思うとちょっとダサすぎておもろいなコイツ…。なんか今は普通に手を動かすのも楽しいです。絵を描くの、本当はやっぱ好きなのかも。

躁うつをやる前~初期と比べると絵柄はリアリティラインが少し下がって描き込み量も減ってかなりあっさりしたので、他人から見ると昔のほうがうまく見えそうだなあとも思うんですが本人的には今の絵のほうが描きたいものもあるしのびのびやってて良い絵がかけていると思います。あっさりしたことで完成ペースも早くなったし。私は今の自分の絵が結構好きです。

まあ嫌なこともあります、時々。
でもそこばっかに固執しても仕方ないかと思えるようになりました。精神的にだめになってるときって暗い気持ちになるんですけど、ただ暗いんじゃなくて避難誘導灯も消えてる感じで、逃げ道見えないんスよね。今はちゃんと多少暗くなっても誘導灯が点灯してくれてる感じです。

そんなわけでいろいろ思うことがあったんですけど元気ですよ、最近という話でした。テキトーなタイトルのつもりだったんですが書いてるうちに結果として自分の固定観念が取り払われたという話ばっかなったので意外と芯食ってたかも。

ほなまた…。